「10(結婚について)」(7月31日)

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 (2005年撮影、35歳、33歳。上写真、転載等不許可 (c) Osamu Kamitanigawa 上谷川理)

 

 

 

 

「結婚について」

 

731日。

今日もまた素晴らしい天気!

青空。陽光が肌に痛いくらい。日焼け止めクリームが必須です。

今日も洗濯に勤しもう! 家中の洗えるものを洗ってしまおう!

 

   *

 

さて、今日のテーマは「結婚について」。

昨日奥さんとYouTubeを観ている時、そのテーマの動画が上がっているのに気付きました。

それと、これも時々ですが、塾生から訊かれるテーマでもあります。

あと、巷のブログ、SNS等では、最も人気のあるテーマの一つかもしれない。

このテーマについて僕の思うところを、78枚でまとめてみます。

 

さて、最初に書いておきたいのですが、結婚する、しないなんて、個人の自由です。ここは自由の国です。自己責任で、何でもできます。あるいは、やらなくてもいい。

ただ、今、「自由」と書きましたが、こと結婚に関しては、個々人の全く自由裁量で行えるようになったのは、人類史においてごく最近のことです(興味のある方は、ぜひ調べてみてください)。

だから、それをするしない、そして相手選びまで、今や自分の自由裁量に全て任せられるようになり、スムーズに行える人がいる一方で、却ってそれで戸惑っている人もいるのではないかというのが僕の推測です。

 

自由と責任は、表裏一体の関係です。

夏休みエッセイの初日(722日)でも書いたように、世の中の大部分の人は、結婚していようと、そうでなかろうと、ごく普通に幸せな生活を送っています。

その際、結婚生活を選んだ場合、大昔のように、結婚を集団のために、あるいは家族のために半ば強制されていた時代には、そこに仮にも小さな不満が生じても、それを制度や誰かの責任にして人は自らを慰めることができたのだと思います。

それらが全くの自由となった今、結婚後の「幸せ」は、結婚するということを選び、またその相手を選んだ自分に全責任があります。

これは、近代に入り、僕達人類が得た「自由」というものの代償です。「自由」を得たならば、それに対する「責任」は当然付いて回ります。

良い結果はもちろんのこと、そしてそうでないものも、全て自分が「自由」に選んだ行動の結果です。

 

   *

 

僕は結婚に関しては、「縁」というものを信じています。

上の自分自身の全くの「自由」な選択よりも、神様が(これに関してはどのような表現をしてもいいです)、自分の「自由」を超えた部分で、結び付けてくれていた相手との「縁」を信じます。 

うちの奥さんとは幼い頃の思い出を共有しています。

夜、食事をとりながら、あの店の横にはあの店があったね、とか、あの人は今、どうしているのかな、等ということを、ツーカーで話せるのは、とても楽しいし、心が安らぎます。

結婚とは、家族がいつでも心安らげる場所をつくることです。

そして、この長い人生において、いつでも自分が大切にされる場所、いつでもしみじみとした幸せを感じられる場所をつくることです。

二つ程、自分の例以外の話も紹介してみましょう。

僕の高校1年時からの友人Nが、40代半ばになり、本当に大真面目な顔でつぶやいた言葉があります。

「***(僕のあだ名)、結婚するなら絶対同郷の子がいいよね。気をつかわなくて済むもん。ほっとできる人が一番いい…」と。

Nは本当にしみじみとそうつぶやきました。その様子があまりにも真剣だったので、僕の中にその言葉が強く残りました。

また、僕の尊敬する文筆家(諸井薫)のエッセイにこういう内容がありました。

学生時代、田舎から上京し、以来ずっと東京で仕事を続けていたある40代の男性は、通っていた喫茶店でアルバイトをしている30代の女性と結婚したそうです。

同じく常連だったこの文筆家は、一見ごく普通にしかみえない30代の女性になぜその男性が惹かれたのか不思議に思ったらしく、結婚を決めた理由を男性に訊いてみました。

すると男性は、その女性は自分と同じ田舎の同じ町の出身で、話す方言やその他多くのものが、その町独特のもので、それに非常に懐かしさをおぼえ、結婚を決めたということです。

40代の男性だから、それまでに都会で様々な出会いはあったことでしょう。結婚する機会は幾度もあったことだろうと思います。

でも、40代まで独身でいて、最後には、同じ田舎の同じ町の出身の女性を結婚相手に選んだということです。

恋人でも結婚相手でも(あるいは友人でも)、長く一緒にいるとものの見方や考え方、価値観が似てきます。物理分野の用語で言えば「共振」を起こすようになります。

その際、そもそものバックグラウンドが似た者同士だと、この「共振」までの過程が、スムーズにいくのだと僕は思っています。

 

僕がこれまで見た限りでは、どのブログ等でもあまり言及されていないようですが、結婚相手を選ぶ際、相手の身長・容姿・経済状況等より、相手の出身地等の、(知りうる限り)幼い頃のバックグラウンドを知る方が、上の条件を見るより余程大切なことなのではないかと思っています。

ただ、出身地くらいは分かるにしても、相手の幼い頃からの記憶や思い出等は目に見えないものだから、それを知ることは難しいのかもしれませんね。相手が積極的に話してくれない限りは。

でも、幼い頃から意識することなく心に刻んだ記憶、ものの見方や考え方、そして思い出等は、その人が身に付けている「無形の大いなる財産」です。

実は、これは「有形の財産」より余程大切なものではないかと思っています。だって、例えば、車や家等の財産を持っていたとしても、それらはいつかは壊れ無くなってしまうものです。しかし「無形の財産」は永久に無くならない。その意味で、一番大切な財産です。

 

   *

 

幼馴染をどう定義するかによりますが、まだ社会に出ていない学生時代までの友人達までをそう定義するなら、これまで出合った本の著者等で幼馴染と結婚している人は結構います。

今すぐに思い出すだけでも、尊敬する保守論客のNさん、元F1ドライバーのSさん等がそうです。

そしてこれは全く個人的な見解になりますが、幼馴染と結婚している人や、その頃からの友人達を大切にしている人を僕は強く信用します。

子供や学生の頃から、長期間、人間関係を維持できている人は、それだけで、他の何をしたとしても、時間を積み重ねながら物事を成し遂げる力を持っていると確信できるからです。

 

以上、僕が「結婚」というテーマについて思っていることです。

若い人の、何らかの参考になれば嬉しい。

 

2019731日午後5