「8(上がり目を残しておく)」
「常に上がり目を残しておく」
7月29日。
起床後、夏らしい雨がざっと降りました。
さっと降り、さっと上がる類の雨。
それも激しい雨。いかにも夏らしい雨。梅雨時の雨とは違います。
その雨音を聴いていると、とても幸せな気持ちになります。
幼い頃、夏休みに田舎の祖父の家で、このような雨を眺めていました。
とても贅沢な時間。夏休みの40日間、何もしなくてよかった。カブトムシを捕り、釣りに行き、川で泳ぎ、雨を眺めていればよかった――。
(宿題なんか無視していました。ああいうものは、出す方が悪い)
僕は四季の中で夏が一番好きです。それは、学生時代、社会人時代を通じて、ずっと変わりません。
どうしてかな――。やはり一番の理由は、短パンと半袖シャツでいいことかな。それから、幼い頃から夏休みの楽しい思い出のことを思い、いつも幸せな気持ちになれることでしょう。
・・・と様々な理由がありますが、とにかく夏が大好きです。
こういうことは、学生時代から友人達によく言っていました。もし、この短文を昔の友人・知人達が読んでいたら、「ああまた同じことを言っている」と微笑むことでしょう。
さて、今日は人生において「常に上がり目を残しておく」ということについて書いてみたいと思います。
これも、人生をワクワクするものにする秘策として、仲良くなった塾生によく話すことです。
以下に4、5枚でまとめてみます。
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このHPの他の頁でも書きましたが、人が何かの知識・スキル(他、何でもいい)を習得する際、最低7年位はかかると僕は思っています。
人により、この期間は5年、あるいは10年と、様々な意見があると思いますが、それらの平均は大体7年位とされるのが普通でしょう。
18歳までは、人には本当の意味での人生の選択権はありません。それは仕方がない。保護者の下で生活しているのだから。
でも18歳の誕生日を迎えた後は、人生は全く自分のものです。自分で稼ぎ、自由に生きることができます。18歳から88歳(まで生きると仮定して)の70年間、ワクワクドキドキする人生を送れるのです。
さて、一つのことをマスターするのに7年間かかるとして、その70年間で10のことをマスターすることができます。
この10という数字は、大体の数字だと思って下さい。分野によっては7年以上かかるだろうし、また7年以下で習得できる分野もあると思います。
大体、自分の人生で10個のことにチャレンジできる、そう理解していればいい、と塾生には言っています。
そして「7年間」といっても、それに本格的に取り組むのに連続で7年間かかるという意味で、それを始めるまでの心の準備、下準備(基礎体力づくり or 文献集め、アイディア等のメモ書き)は、実はそれを始めるずっと前からスタートさせているものです(僕の場合、20年、30年前から構想を温めていた(いる)、はごく普通です。そして、あえてそのことを周囲に話したりはしません)。
ちなみに僕の場合、20代の中頃から、段ボールを幾つも用意し、それぞれの段ボールにタイトルを付け、そこに少しずつ購入した本や、メモやアイディア等を入れていくのを習慣としています。
そういう、テーマ毎の段ボールが、教室と自宅に山のようにあります。
「上がり目を残しておく」というのは、自分の人生の先々で、さらに行動・表現できる分野を、多くつくっておくということです。
今取り組んでいる分野の井戸掘りが一応終了したら、次は全く新しい分野の井戸掘りに取り組む。
「一応終了したら」というのは、同じ井戸を同じ手法で掘り続けていると、掘れる深さと質にどうしても限界が生じるという経験則からきています。その井戸をさらに深く掘り続けていくためには、いったんその井戸から離れ、全く別の土地で新しい井戸を掘り、新たな経験を積み、違う手法を身に付け、その井戸に戻った方が、結局は短い期間でより深く掘り続けていけるという経験則です。「急がば回れ」です。
そのように幾つかの井戸掘りを経験していくと、井戸の掘り方がどんどん上手くなってきます。
20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、それぞれのステージで、自分が行動・表現できる分野を考え、準備しておくのは、人生を愉快に生きる秘訣です。
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さて、これを書いている最中にふと思いましたが、僕は食事の際、好きなものを後に残して、そうでないものから先に食べるという習慣があります。
美味しいもの、楽しいことは、後にとっておきたいからです。
この習慣は、上の考え方と通じるものがあるのかもしれません。
我ながら、ちょっと微笑ましく思いました。
2019年7月29日午後5時