「大人になってからの通信簿」

「大人になってからの通信簿」

 

 723日、木曜日。

 昼間、洗濯物を干せるくらい、陽はあったのですが、夕方から雨が降ってきました。

 洗濯物は室内に入れて、強力除湿器で強制乾燥。

 まあ、こういう日もあります。

 

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 昨日YouTubeで、学校の1学期の通信簿(通知表とも呼ぶようです)の話題が上がっているのを観ました。

 それを観ながら、正直な気持ちとして、「学校時代の通信簿というのは嫌なものだったなあ…」としみじみ思いました。

 その理由は、たった1人の評価者により、そしてその人の独断と偏見により評価され、通信簿が書かれていたからです。

 またその評価の分野も、人の性質や能力のごく一部を見るものだったから、嫌だった。自分が得意とする分野への評価がなく、大嫌いだった勉強分野中心の評価だったから嫌だった。

 18歳になれば、もう学校からの評価はなくなります。

 少なくとも、自らの選択としてその後学校というものに関わらなければ、学校の通信簿のような下らないものからは解放されます。

 

   *

 

 それでも、大人になってからも通信簿というものはあります。

 それはその人への、周囲の人達からの総合評価です。

 ここでも、学校時代のように、人によって評価されることは変わらないのですが、今回の評価がフェアだと思うは、1人から評価でなく、皆からの総合評価だからです。

 そして、評価される分野も、学校時代の勉強分野のように極端に偏ったものでなく、その人の真面目さやコツコツさのような、学校時代にはその期間があまりにも短すぎて評価が不可能だったような人の性質がきちんと評価されるということです。

 幼稚園は2年、小学校は6年、中学校は3年、高校は3年、それらを合わせても14年。たったの14年間です。

 仮にも、その期間ずっと通して1人の生徒を見ていたとしても、それでも14年という短いスパンでしかその人の評価はできません。

 その人が人生の40年や50年、あるいは70年、何か1つか2つのことをコツコツやれるかなんて、その評価は不可能です。

 でも、大人になってからの通信簿は違います。

 そういう部分がきちんと周囲から見られ、評価されます。

 それはとてもフェアだと思います。

 また、大人の世界が面白く、良くできていると思うのは、誰でも人への評価として(それを表に出すかどうかは別にして)個人的にあの人は好き、嫌いという好悪の感情とは別に、その人の人間性や能力への高い評価を自分が持てるようになるということです。

 簡単に言えば、気持ちの上ではあまり好みでなくても、その人の人間性や能力を高く評価し、尊敬できるようになるということです。

 まあ、逆に言えば、そういうことを当たり前のこととしてできるようになるのが、大人になるということなのかもしれません。

 以上、昨日観たYouTubeの通信簿の話から思い、考えたことでした。

 メモとして残しておきます。

 

 2020723日、九大進学塾、作家カフェバー、メモ