「夏休みプレゼントエッセイ1」(2019年7月22日)

「「古典」について」

 

今日は722日。今、外は大雨。

世間(学生の世界)では、夏休みが始まっています。

少し時間があるので、前から書いておきたかったテーマを一つ、短く67枚でまとめておきたいと思います。「古典」についてです。

この一文を読んだ学生が、この夏休みに、少しでも「古典」を読んでみたいと思ってくれれば、嬉しい。そんな思いで書いています。

 

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教室には、西洋・東洋・日本の多くの古典全集を置いています。それらを見て、時々、塾生が訊いてきます。

「これって、面白いんですか?」

僕はこう答えます。「もちろん、面白いよ」と。

そして、「ここには、社会や人に関する本質的な問題の解答が既に書かれているんだよ」と。

 

いつの時代でもそうですが、よく「時代は変わった」とか、「今は昔とは違う」などというフレーズが語られるものです。

しかし僕は、そのような言葉を全く信じません。

数千年の歴史を積み重ねてきた世界・社会・人の性質は、ほんの少し技術革新が進んだ等くらいの理由で、急に大きく変わるものではないという確信があるからです。

 

過去数千年の間に、洋の東西を問わず、世界・社会・人は、同じような本質的な問題について悩み、その方策を考え、その軌跡と解答を書き残しています。

それが「古典」です。

現在、現役塾生から、あるいは卒塾後の彼らと会い、様々な話をするときによく聞く、多くの疑問や悩みの答えは、既に古典の中にあります。

   

その中から5つだけ紹介します。もっと紹介したいのだけれど、長くなるので。

誰にでも等しく応用できるような人生訓を厳選しました。自分の人生にからめて、少し具体例も入れて書きます。その方が理解しやすいと思うから。

 

1、「何よりも先ず、自分自身のことをよく知りなさい」。

自分の生まれ育った環境、自分が学んできたこと、自分の絶対的な能力等について客観的に把握し、その枠内でベストを尽くしなさいということです。

洋の東西を問わず、複数の古典が教える何よりも大切な訓え。

人生の終盤に人が後悔することがあるなら、それは「巡ってきたチャンスの回数の少なさを嘆くのではなく、チャンスは何回も巡ってきたのに、それらの機会を十分に生かしきれなかった」ことを嘆くのだそうです。これも僕の好きな古典の訓えです。

自分の実力に相応しいチャンスをきちんと捉え、それを最大限に生かす。それは、自分自身が発揮できる実力を十分に知り尽くしていないと可能ではありません。

 

2、「人生で大切なのは3つ。1、健康 2、財産(仕事、家族、資産) 3、感謝の気持ち」。

「健康」は当たり前。「仕事」「家族」「資産」は何より大切なもの。「感謝の気持ち」とは、その人がどれだけ自分の人生を愛しみ、自らを創り上げる際にお世話になった人・モノに感謝の気持ちを抱いているかです。

僕は人を理解したい時、当人のこの3つの要素と、その人がそれらをどれだけ大切にしているかを見ます。すると、その人のそれまでの人生、そしてこれからの人生までがはっきりと透けて見えるものです。

 僕が古典から学んだ、非常に役に立つ人間観察法です。

 

3、「永続するものだけを大切に」。

一過性のもの、すぐに消えてなくなるようなものは、ただそれだけの価値しかありません。本当に大切にすべきものではありません。

人生の時間とエネルギーはとても貴重。永続するものにのみ、自らの貴重な時間とエネルギーを注ぐべき。

自分の視界に入れる対象、取り組む対象は、完全に自分の自由。

仕事を選ぶ時は、大昔からある仕事を。そういう仕事は、これからも永続します。

仕事以外のものも、少なくとも人生の最後の最後まで、しっかりと愛しみ、かつ積み重ねが可能で、フルーツに恵まれるものを選ぶべき。

 

4、「時間をたっぷりとかけて、他の人にできない仕事を」。

3の教訓に似ていますが、簡単にできるものは、それだけの価値しかありません。自分に1年でできるような仕事は、他の人にも1年でできます。自分が10年かけてした仕事は、他の人も10年で。

そこで、自分にしかできない能力を用いて、10年、20年(あるいは30年、40年、それ以上)かけてした仕事は、他の人にはできない可能性があります。

実は、それこそが自分自身がやるべき仕事です。他の人にできるような仕事は、その人達に任せておけばいい。

僕達がこの世に生まれてきた理由は、自分自身にしかできない仕事をして、この社会に貢献するためです。

 

5、「「例外」に惑わされないように」。

世の中の人の9割以上は、普通に幸せな生活を送っています。

ところが、巷に流れるニュース(SNS情報も含む)は、それこそ例外的な出来事を扱うことが多く、「今日も平凡で幸せな一日を過ごしました」的な情報はあまり表に出てきません。

日々のニュースに接していると、あたかも世の中には例外的な出来事が多くあり、その裏に99.99%の幸せで平凡な生活が多数あることを、つい忘れてしまいがちです。

自らの人生について、様々なことを考える際、この「例外」はあくまで「例外」として考えるべきです。

僕は以前に自分の家系について詳しく調べた事があり、僕の家系はこの200年間、九州の田舎で平凡な生活を送ってきたことがよく分かりました。

ちなみに僕の父は、太平洋戦争が起こっていたことが実感されたことがなかったそうです。もちろん、父はその時まだ子供だったということもあるのでしょうが、九州の田舎では、食べ物は豊富にあり、空襲等もなく、その期間も他と変わらずごく平凡に暮らせていたということです。

僕は幼い頃、父からこの話をよく聞いていて、教科書に一般的に書かれている出来事は、日々のニュースと全く同列で、ごく例外的なことが多いのだという認識を持つようになりました。

要は、平凡で幸せな生活はニュースにはならないし、教科書にも書かれることはないということです。

それでも世の中の9割以上は、そのようなもので溢れています。

 

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 今、雨が上がったようです。晴れ間が見えてきました。

 

2019722日午後530分記