「教育1=基礎学力、成功体験など」
「教育=基礎学力、好きなことに熱中、人との触れ合い、成功体験、習慣にする、学んだことを仕事にする、法律を知る」(10枚)
「教育」
2020年4月29日、水曜日、快晴。
世間は今日からGWです。
今日は「教育」というテーマで、それを施す側、受け取り・訓練する側の両方を合わせた視点から書いてみます。
要は、人が20歳前後で社会で仕事を始めるまでに学ぶべきことについて、です。
10枚程でまとめます。
「基礎学力」
まずは基礎学力の習得です。
読み書き、簡単な手計算、情報端末(PC等)の使い方がそれに相当すると思います。
日本語を読めて、書けて、普通に情報端末を使えるようになるということです。
「好きなことに熱中」
基礎学力さえ身に付ければ、あとは好きなことに好きなだけ時間を費やせばいい。
ゲームが好きな子はゲームに、絵が好きな子は絵に、スポーツが好きな子はスポーツに熱中すればいい。
好きなことが見つからない子は、それはそれでぼーっと過ごせばいい。ぼーっと過ごすのも、好きなことに熱中していることの一形態です。
好きなことに熱中していれば、何かしら、そのコツ、やり方みたいなものを自然に学べます。それも大いに楽しみながら。
「人との触れ合い」
僕の意見では、実は行きたくないのなら、学校や塾になんて行かなくてもいいと思っています。
自宅で基礎学力を身に付けられ、何かに熱中できるなら、自宅に居続けて何が問題なのですか?と逆に問いたい。
ただ、それでも、自宅に居続けては、決して学べないことがあります。それは「人との触れ合い」です。
もちろん、それはオンラインでも可能、そう言う人もいるかもしれません。でも、少なくとも今後数十年間、完全にオンラインだけで、人との会話も含めた社会生活を送れるようになるとは僕は思いません。
やはり、家の外に出て、そこでリアルに人と会話などをしなければ、社会に貢献できる形での社会生活は難しい時代が続くと考えます。
そのためには、学校や塾に行かなくてもいいから、せめて最初はオンラインでもいいから友達をつくって、彼らと外でもリアルに会って会話をし、一緒に遊ぶという経験を積んでいく必要があります。
リアルに人と会い、会話を交わすと、そこではオンラインでは100%は経験できない「相手への思いやり」「相手への敬意」という感情を身に付け、訓練することができます。
オンラインだと、仮に気に入らないことがあれば、すぐにオフにできる。それでそのやり取りや、人間関係も簡単にオフにできます。
でもリアルだと、そういうことは簡単にはできない。相手とのやりとりの中で、多少自分の意に沿わないことがあっても、相手の気持ちや立場を考え、そのやりとりや関係を継続する工夫が必要となります。
こう書くと、リアルでの人とのやり取りは大変なもののように感じられますが、実際は、少しでもそのコツを身に付ければ、本当に楽しいものです。
とにかく、今後数十年間は、社会に貢献できる形で社会生活を営む上では、最低限は自宅外に出て、「人との触れ合い」の経験を積むことが必要です。
「成功体験」
次は成功体験です。これはどんなに小さなことでも、またどんなスタイルでもいいから、「成功し」「達成する」経験を積むことです。
「友達数人と遊ぶ中で、自然とリーダーのような役割を演じることができた」、「テストで、クラスで、あるいは学校で1番になった」、「自分の手で、何か、形のあるものを作り上げた。(そして誰かに誉めてもらった)」などなど。
成功体験を経験すれば、「やればできる」という非常に前向きな人生を生きる態度を身に付けられます。
そのポジティブな態度や気持ちは、それから成功体験を積み重ねるにつれ、雪だるまのようにふくらんでいき、自分の人生を生きる上での強力な武器になります。
「習慣にする」
これも大切。「基礎勉強」「人との触れ合い」そして「成功体験」まで、出来る限り、日々の習慣にするために、毎日の生活の中に時間を組み込み、コツコツと行っていくのがいい。
「成功体験」は、さすがに日々の習慣にすることは難しいかもしれませんが、毎日コツコツと「基礎勉強」や「人との触れ合い」を積み重ね、いわば種をまき、それを育て続けることで、自然と定期的に「成功体験」を得られるようになる、というのが僕自身の実感です。
「学んだことを仕事にする」
そして、18歳、成人になれば(2022年4月から18歳成人)、皆、自らの選択で、自らの責任で、これまで学んだことを生かす形で仕事を始めます。その形は、最初はアルバイトかもしれない。でもアルバイトも、正社員も、あるいは自分の会社を興して仕事を始めるのも、「仕事をする」という意味では全く同じです。
そもそも、生まれて、教育を受け、人から学び、あるいは自分で学ぶのは、18歳以降に仕事をし、社会作りに参加するためです。
それまでは、先人たちが作り上げてくれた社会で生きてきました。今度は、自分より新しい世代のために、自分達が社会を作り上げていく番です。
「法律を知る」
最後に、「法律を知る」です。
僕自身、家系的に、周囲に弁護士や裁判官など司法関係者がいたわけではありませんが、たまたま20歳の頃、友人達から公務員試験の勉強をするように勧められ、その際法律を学んだことが後の人生で役に立っています。
ただ、法律を学ぶ際に注意しなければならないのは、学び過ぎて、あるいはその考え方の影響を受け過ぎて、「法律が絶対」あるいは「法律が第一」のような、社会常識や社会慣習の上に法律があるような錯覚を起こすようになることです。
2つ例を挙げます。
以前に動画で、大学時代に法学部で労働者の権利を詳しく学んでいた会社員が、会社在籍中、何かを内部告発して、その後会社から冷遇され、そのことを批判していたのを見ました。
これは、そもそもがおかしい。
確かに労働者の権利はあり、内部告発も法律上は許されているかもしれない。でも、一度、自らの選択として会社に入り、給料をもらい、会社でお世話になっていたのに、在籍中に会社の文句を言うというのは、社会常識からは考えられません。
そういうことをやるなら、辞めて、それからやりなさい、ということです。
会社側からすると、「批判するくらいなら、ちゃんと仕事をしてよ」という感じでしょう。
そもそも「デキる」人は、会社を批判なんかしません。不満があれば、さっさと別の会社に移ります。
世の中には、自分が「してもらった」ことはすぐに忘れ、ちょっとでも不満が生じたら、文句ばかり言う人がいます。いわゆる「恩知らず」の人たちです。
こういう人たちに対しては、色々な批判の視点はあると思いますが、僕の理解では、法律を学び過ぎて、挙句の果てに、法律を社会常識の上に置くようになり、常識的に受け入れがたい行動をとってしまった、ということです。
あと、過労死についてもそう。
実際、過労死事件が起こった直後には、確かにその犠牲となった人は可哀想で、皆、声を大にしては言いませんが、少し冷静になれば、そもそも過労死するくらいに働くというのが間違っているということは明々白々です。
過労死しそうだな、と思えば、その仕事をやめた方がいい。
法律上、過労死させるほど仕事を与えた会社には責任があるということを多分知っていて、その知識から「自分は法律上守られている」と思っているかもしれません。
でも、法律より何より、社会常識、それ以上に、自分の健康が一番大切です。
この豊かな日本では、仕事なんていくらでもあります。何も、その過酷な仕事にしがみつかなくてもいい。
もちろん、仕事をかえれば収入は下がるかもしれない、でもそれは自分の生活レベルをそれに合わせればいいだけのこと。
そういうことが、法律より何より、優先します。
法律を学ぶ際には、それを最優先とするという間違った考え方を身に付けないよう、常にそのことを自覚しながら学ぶ必要がある、それを強調しておきます。
2020年4月29日 GW初日メモ